とある夏の日
・吾輩 … 黒猫
・人間 … 学生
○S#1 とある学校(昼)
吾輩は猫である。
名前はまだ無い。
どこで生れたか頓と検討がつかぬ。
野生や野良と呼ばれる世界で其れなりの時を過ごして来たが、いつになっても太陽照りつけ蝉の喚き立てるこの季節ばかりは如何にも好きになれない。
一日の中で最も日が高くなる時間、アスファルトから照り返す暑さから逃げる為に脚を運ぶのは、人間共が「学校」と呼ぶ場所。
大きな箱のような建物の中に出入りする人間の殆どは、例えるなら子猫と成猫の合間くらいの歳だろうか。
似たような格好の衣に身を包み、雄も雌も関わりなく集まって一体何をしているのやら。
この街には少なくなってしまった砂の地面と木々の作る日陰が此処にはある。
敷地の片隅で有れば人もめったに訪れない。
自慢の黒く艶やかな長い毛が憎らしくなるこの季節の昼寝にはちょうど良いのだ。
ごろり。
青々しい芝に身を投げ欠伸を一つ。
真上で鳴き叫ぶツクツクボウシが子守唄代わりだ。
今だけは喰らわずにおいてやろう。
× × × × ×
人間「あ、猫。」
ツクツクボウシは無事逃げ仰せ、いつの間にやらミンミンゼミが歌っている。
誰だ。
我輩の崇高なる惰眠を邪魔するのは。
不機嫌満天に瞼を持ち上げれば、目の前には人の子が一人。
何用だ。と睨み付ける我輩の視線を意に解することなく隣に腰を据える此奴は、余程神経が図太いらしい。
人間「全然逃げないじゃん。」
人の子の伸ばした手は、我輩の鼻先を掠め耳の裏へと運ばれる。
うむ。悪くない。
指先から香った他の猫の匂いからして、扱いには慣れているようだ。
人の子は無言で我輩を撫で続ける。
ギャーギャー喚き立てる訳でもなし、暫し我輩の美しい毛艶を堪能させてやろうか。
そうして、心地良さについ喉の一つでも鳴らしそうになった矢先、人の子が不意に小さく声を上げる。
人間「あ…。」
あゝ、危ない危ない。
一体何事だ。
視線の先を見遣れば、
少し離れた木陰で人間の若い雄と雌が人目を忍んで何やら話をしている。
吾輩「ニャア(おい、手が止まっているぞ)」
人間「あ、ごめん、ごめん。」
人の子はボンヤリと遠くの二人を眺めながら我輩の背中を撫でる。
人間「…あのさぁ。」
ほれ、腹も撫でろ。
人間「昨日告白されたんだよね。」
もう少し下の…もう少し…
人間「今あそこで告ってる先輩に。」
そこ。そこそこ。
人間「断ったんだけどね。よく知らない人だったし。」
よいよい。あゝ、堪らん堪らん。
人間「だから、嫉妬とかではないんだけど…なんか、誰でも良かったんだなって。」
ふぅ…。
人間「まぁ、イベント事とかも近いし、分からなくはないけど。なんていうか…ね。」
我輩は満足である。
して…何だったかな。
人間「別にショックでも何でもないんだけどね。ただ、何だかなって。それだけ。」
あゝ、そうだ…
吾輩「ニャア(人の子よ。我ら猫と人、その他全ての生き物に共通する物は何か知っているか?そう、それは種を守ると言う本能。多くの子孫を残そうとする本能である。そして、その本能が強い者こそが、その種において優れた者だと言えるだろう。つまりは、彼の者は優れた人間なのだ。ならばやるべき事は一つ。今すぐ彼の者を奪い去り、己の物にするのだ!)」
人間「なに、慰めてくれてんの?ありがと。」
不意に鐘の音が鳴り響き、溢れんばかりの笑顔を浮かべた奴らは前脚を繋いで行ってしまう。
全く、悠長にしているから。
人間「そろそろ行かなきゃ。またね。」
足音が遠ざかって行く。
何ともはや。
どの種も若人というのは…。
それにしても、暑い。
木々の色付く季節を恋しく思い馳せながら前脚をひと舐め。
fin